サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師/神崎多實子先生からのメッセージ 〜中国語通訳を目指す若い皆さんへ〜[5]

  • 2014.09.09 Tuesday
  • 11:26
学習書聴いて鍛える 中国語通訳実践講座 ニュースとスピーチで学ぶ』を出版された神崎多實子先生から、これから中国語通訳を目指す皆さんへのメッセージ。
先生の60年余りにわたる中国語・中国語通訳との歩みと、日本でいかにして中国語同時通訳の道が開かれたのか、そのエピソードを交えて5回にわたってお話しいただくシリーズの最終回。

今回は、神崎先生から通訳をめざして頑張っていらっしゃる皆さんへ、中国語リスニングの大切さと、語学力上達から広がる世界、日中友好の大切さについてお話しいただいています。

第1回目からのエピソードはこちらからどうぞ>>>


中国語通訳を目指す若い皆さんへ [5]

  往時をふり返ると、若い頃このように様々な転機が訪れ、良きにつけ、悪しきにつけ、今日の私を形作ってきたのだと思いますが、常に初心にかえり、真剣に通訳をこなそうと努力してきました。
  いまでは時代の変遷とともに中国も日本も大きく変わりました。
  しかしどのような時代になっても、平和が続く限り交流は続き、それには、心と言葉の架け橋が必要とされます。

  この度、私にとっては、これまでの集大成ともいえる『聴いて鍛える 中国語通訳実践講座』を出版するに当たり、通訳を目指して日々頑張っていらっしゃる皆さんに次のようなメッセージを贈りたいと思います:

  かつて私が切望したように、どうぞ生の中国語をたくさん聴いてリスニング力をレベルアップしてください。40年前とは異なり、いまは情報化の波にのって、毎日中国のニュースを視聴することができるようになりました。今回のテキスト編纂にあたっては、中国の著名な方々のスピーチのほか、CCTV大冨のご好意とご協力により、多くのニュースを収録させていただきました。

  ただニュースと言えば“新闻”、しかし瞬く間に“旧闻”と化してしまいます。そこで、今回ニュース項目の選択には、できる限り普遍性のあるもの、パターン化されたものを選びました。ニュースやスピーチを通して、自分の聴き取れない部分をチエックしながら、行間に滲み出る様々な動きに目を向けてください。

  言葉の比較、文化の比較のなかから多くのことを学ぶことができます。リスニングが上達すれば、語学力が伸びるばかりでなく、物事をみる視野が広がり、世界が広がります。「生涯現役」でいられるかは別として、「生涯学習」を通して知的快楽を存分に味わうことができるでしょう。

  ただ残念ながら、いま日中関係は、国交回復前に逆戻りしたような感があります。しかし底に流れる友情は、滔々と流れる長江のように止まることはありません。
  私は、60年前ともに肩を並べて学んだ中国の学友たちといまも文通し、またご子息など次の世代の協力も得てメールを通して旧交を温めるなど、代々にわたって仲良くしています。北京を訪れると、旧友がわざわざ地方から出てきて迎えてくれたりもします。
  いまこそこうした草の根交流、友情の大切さが再確認されるべきときではないでしょうか。

  この本が、いささかなりともこれからの日本と中国の心と言葉の架け橋を担う皆さんのお役に立てることを願ってやみません。
神崎多實子


神崎多實子/サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師
東京都生まれ。幼年期に中国へ渡航、1953年帰国。都立大学付属高校(現桜修館)卒。北京人民画報社、銀行勤務などを経て、フリーの通訳者に。通訳歴50年余り。NHK・BS放送通訳、チャイナネットワーク講師。

サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師/神崎多實子先生からのメッセージ 〜中国語通訳を目指す若い皆さんへ〜[4]

  • 2014.09.05 Friday
  • 15:10

学習書『聴いて鍛える 中国語通訳実践講座 ニュースとスピーチで学ぶ』を出版された神崎多實子先生から、これから中国語通訳を目指す皆さんへのメッセージ。
先生の60年余りにわたる中国語・中国語通訳との歩みと、日本でいかにして中国語同時通訳の道が開かれたのか、そのエピソードを交えて5回にわたってお話しいただくシリーズの第4回目。

今回は、いよいよ日本で中国語同時通訳放送がスタートした当時のお話です。


第1回目からのエピソードはこちらからどうぞ>>>


中国語通訳を目指す若い皆さんへ [4]

同時通訳へのチャレンジ
  日本で中国語から日本語への同時通訳放送がスタートしたのは、1980年代の残留孤児の肉親探しの頃からです。肉親探しの効果が上がるよう、NHKでは、事前に周到な準備が行われていました。まずは残留孤児が保護された当時の様子などについて一人一人の対面調査に始まり、それにもとづいてテレビ出演の際に、どのような問いかけをすれば、肉親探しにつながるかなどが詳細に検討されました。
  
 例えば、養父母に保護された時にはケープを着ていたそうだという情報に対しては、「当時着せられていたのはどのような服ですか?その場所はどのような所だったのですか?」という問いかけをするのです。つまり答が先にあって、質問が設定されるという具合です。同時通訳がやりやすいよう、そのミーティングには通訳者も同席し、時には延々深夜に及ぶこともありました。
  
 しかし同時生放送の本番で、すべてがシナリオ通りにいくとは限りません。テレビで肉親に呼びかける時間は、せいぜい一人5分程度、残留孤児にとって自らの生死をかけた千載一遇のチャンスでもあり、立板に水の如くしゃべりまくる人もいれば、辺鄙な田舎で育ち、かなり訛りが強い人もいて、ある程度状況を把握していたとはいえ、時には緊張のあまり冷や汗が流れることもありました。
  
 しかしこの肉親探しの同時通訳放送により、初めて中国語同時通訳放送の道が開け、その後、総理訪中の記者会見や講演会でも同時通訳が使われるようになりました。それは細川総理(当時)の後、橋本総理(当時)の訪中の際の90年代後半からです。

 

[5へ続く]


 

神崎多實子/サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師
東京都生まれ。幼年期に中国へ渡航、1953年帰国。都立大学付属高校(現桜修館)卒。北京人民画報社、銀行勤務などを経て、フリーの通訳者に。通訳歴50年余り。NHK・BS放送通訳、チャイナネットワーク講師。

サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師/神崎多實子先生からのメッセージ 〜中国語通訳を目指す若い皆さんへ〜[3]

  • 2014.09.02 Tuesday
  • 21:15

学習書『聴いて鍛える 中国語通訳実践講座 ニュースとスピーチで学ぶ』を出版された神崎多實子先生から、これから中国語通訳を目指す皆さんへのメッセージ。
先生の60年余りにわたる中国語・中国語通訳との歩みと、日本でいかにして中国語同時通訳の道が開かれたのか、そのエピソードを交えて5回にわたってお話しいただくシリーズの第3回目。

今回は、1966年から1977年まで続いた中国文化大革命のころ、中国へ渡航するのも難しい時代に先生が迎えた転機のお話です。

第1回目からのエピソードはこちらからどうぞ>>>



中国語通訳を目指す若い皆さんへ [3]

中国語研修学校教師の頃
  第三の転機は、それから10年余り、中国で文化大革命の嵐が吹き荒れた頃で、日中の交流も途絶えがちになりました。いまのように簡単に渡航する道もなく、ただ生の中国語を聴きたいという思いが、募るばかりでした。

  そんな時にお声がかかったのが、『毛沢東選集』の日本語版監修者浅川謙次先生を校長とする中国語研修学校(数年前閉校)の講師の仕事でした。当時30そこそこの私が考え出したのは、“听广播課”(中国の放送を聴く授業)でした。
  しかし音源確保はいまのようには行きません。妨害電波による雑音の入り混ざった短波をとらえるのがやっとでした。そのため当時新華社と提携していた日本の中国通信社にお願いして、ニュースを録音し、カセットテープを活用させていただきました。
  
 授業では、受講生に中国語のニュースを聴かせ、最後に正解として、私が“听写”(文字起こし)をした答案を配布するのです。ところが、いまのような情報化時代ならいざ知らず、当時の私のリスニングのレベルでは、正解に漕ぎつけるまでが苦労の連続でした。時には、文字を埋められず、一部空白が残ったままの答案もありました。

 しかしこの間、私の中国語は、それまでのやや子どもっぽい稚拙な中国語から脱皮し、大人の中国語へと変身したようでした。教えつつともに学び、リスニング力が向上するのに伴い、中国語をレベルアップさせることができた大変貴重な5年間でした。いまも放送通訳として活躍できるのは、あの当時の努力の賜物ではないかと思います。

  やがて1972年日中国交正常化を機に、私は再び通訳や翻訳の仕事に専念するようになりました。



[4へ続く]




神崎多實子/サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師

東京都生まれ。幼年期に中国へ渡航、1953年帰国。都立大学付属高校(現桜修館)卒。北京人民画報社、銀行勤務などを経て、フリーの通訳者に。通訳歴50年余り。NHK・BS放送通訳、チャイナネットワーク講師。


 

サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師/神崎多實子先生からのメッセージ
〜中国語通訳を目指す若い皆さんへ〜[2]

  • 2014.08.29 Friday
  • 14:57
学習書『聴いて鍛える 中国語通訳実践講座 ニュースとスピーチで学ぶ』を出版された神崎多實子先生から、これから中国語通訳を目指す皆さんへのメッセージ。

先生の60年余りにわたる中国語・中国語通訳との歩みと、日本でいかにして中国語同時通訳の道が開かれたのか、そのエピソードを交えて5回にわたってお話しいただくシリーズの第2回目です。

今回は、高校時代、1953年に日本に帰国した後、先生に起こった転機についてのお話です。

第1回目のエピソードはこちら>>>



中国語通訳を目指す若い皆さんへ [2]

中国語通訳募集のテスト

  帰国後、日本の高校に引き続き転入はしたものの、私は、心ここにあらずという状態でした。良くも悪くも今風にいえば帰国子女のようなものです。
そして「中国語通訳一般募集」の知らせを偶然耳にしたのは、「通訳」という職業があることさえ知らなかったころのことです。

  筆記試験はなく、挨拶の言葉を中国語に訳すテストでした。
「若いのに有望だ」(?)ということで、多くの諸兄諸姉を尻目に、採用されてしまいました。  とはいえ、通訳というよりは、むしろ接待係で、お食事の注文取りや体調を崩した方を病院に案内するような仕事、つまりサブ通訳でした。

  初仕事は、この本のスピーチをご担当くださった劉徳有先生が1955年中国側のメイン通訳として来日されたときの貿易代表団の随行通訳です。敗戦後10年余りの日本は、まだまだ大変な時期でしたが、その後も梅蘭芳を団長とする京劇代表団などが来日し、随行することになりました。

  当時長崎で開催された原水爆禁止世界大会の時に行われた世界婦人の集いに、魯迅の夫人で団長の許広平さんのお世話と通訳を仰せつかり、十分な対応ができず、反省したこともありました。
  ただもしあのとき採用されていなかったら、通訳という仕事の魅力を一生知らずに過したかもしれません。

  高校在学中に授業をさぼって通訳をしたりしたのですから、いまのNHKの連続ドラマ『花子とアン』のような私立学校なら、さしずめ「即刻退学処分」になるところかもしれません。当時は「中国語が話せる」というだけで、白い眼で見られ、刑事に尾行されるような厳しい時代だったのです。

  ただ今にしてみれば、もう少し腰を落ち着けて日本や世界の歴史、さらには英語などをしっかり身に付けておけばよかったと後悔の念を禁じ得ません。




神崎多實子/サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師

東京都生まれ。幼年期に中国へ渡航、1953年帰国。都立大学付属高校(現桜修館)卒。北京人民画報社、銀行勤務などを経て、フリーの通訳者に。通訳歴50年余り。NHK・BS放送通訳、チャイナネットワーク講師。


サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師/神崎多實子先生からのメッセージ
〜中国語通訳を目指す若い皆さんへ〜[1]

  • 2014.08.26 Tuesday
  • 11:01

学習書『聴いて鍛える 中国語通訳実践講座 ニュースとスピーチで学ぶ』を出版された神崎多實子先生から、これから中国語通訳を目指す皆さんへメッセージが届いています。
先生の60年余りにわたる中国語・中国語通訳との歩みと、日本でいかにして中国語同時通訳の道が開かれたのか、そのエピソードを交えて5回にわたってお話しいただきます。



中国語通訳を目指す若い皆さんへ [1]

  このほど、北京に出向いての取材、音声の収録、執筆など3年ほどかけて取り組んできた『聴いて鍛える 中国語通訳実践講座 ニュースとスピーチで学ぶ』を大森喜久恵先生、梅田純子先生とともに東方書店より出版することができました。
  いまはほっとした気分と手塩にかけて育てた子どもを世に送り出し、果たして皆さんに受け入れていただけるかどうか、期待と不安が入り交じっていますが、このような機会に、私が中国語通訳の道を歩み始めた頃の想い出と勉強の要点をご参考までに書き記してみたいと思います。

  同書「まえがき」に、中国語に触れて60年余りと書きました。
  幼き日、父母とともに中国に渡り、言葉の異なる国に住んで十数年、帰国後も高校生の頃から通訳のお手伝いをしたこともあって、いつの間にか、中国語通訳が終生の仕事となり、半世紀余りを経過、昨今は高齢ともなり、会議通訳の仕事は辞退するようにしていますが、放送通訳だけは続けています。それは心身の活性化とともに、日中の架け橋としての役割を、生きる証しとしたいと願っているからでもあります。しかしよくぞここまで飽きることなく中国語とお付き合いしてきたものだと、われながら呆れてしまうほどです。
  顧みて、私がこのような通訳の道を終生歩むようになったのには、いくつかの転機がありました。


中国の学友とともに学んだ4年間
  中国語に触れるようになったきっかけは、敗戦後父が中国に留用され、解放後、長春の東北師範大学で教鞭をとるようになり、父の勧めで、無理やり(?)、中国人の学校に入ったことに始まります。当時、長春には日本人学校がまだあり、正直にいって、引き続き日本人学校に入りたかったのです。
  初めは中国語ができないので、十数歳の私は東北師範大学の付属小学校に入りました。初めて耳にした中国語の速いこと、速いこと、まるで喧騒のようで、なにを聴いてもチンプンカンプン。でもそれまで遠くから眺めていた中国人が一気に身近に感じられるようになりました。「あの子のお姉さんはあの人」「あの男の子のお母さんは、あの人」…という具合に。そして丸暗記すればいいだけの音楽の授業が大好きになり、やがて“語文課”(国語)にも魅力を感じるようになりました。
  1949年10月中華人民共和国成立の直前に開催された政治協商会議を讃える歌など、当時意味も分からずに歌ったものですが、いまでも口ずさむことができます。
  “你听见过海啸吗?你听见过万岁毛泽东的声音吗?”(津波のような響きを聴いたことがありますか?毛沢東万歳の叫びを聴いたことがありますか?)で始まるテキストもとてもリズミカルに響きました。しかし辞書などのない貧しい時代ですから、“海啸”(haixiao)=「津波」だとは全く知りませんでした。
そうして4年余り、学校の特別な計らいで、高校まで行き1953年に帰国しました。
  まだまだ未熟な中国語でしたが、耳から学んだ中国語でした。

 

 


神崎多實子/サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師

東京都生まれ。幼年期に中国へ渡航、1953年帰国。都立大学付属高校(現桜修館)卒。北京人民画報社、銀行勤務などを経て、フリーの通訳者に。通訳歴50年余り。NHK・BS放送通訳、チャイナネットワーク講師。

こんな経験も…

  • 2010.05.24 Monday
  • 12:08
BY小松茂恵子


仕事内容             ミーティングの通訳

場所                   関西圏

依頼者                中国の商社

拘束予定時間      半日〜1日半

 

あるとき、商談の通訳を頼まれたときのことです。

商談場所は遠くの田舎にあり、移動だけで往復5、6時間かかります。

そこは交通不便なため、商談が長引いた場合は宿泊することになります。

先の予定がわからない中、宿は仮予約されていました。

 

そして商談当日、商談は午後からスタートだったのですが、お客様が現地まで行くのが不安らしく、午前の10時から集合し、お客様と現地まで同行することになりました。午前の日当は付きませんでしたが・・。

大阪から電車に乗り、京都、草津… そしてまた乗換え、やっと最後の乗換が終わり、目的地にそろそろ近付いてくる頃、電車の中でお客様から今回の商談での依頼をされました。


それは、私が「通訳」であることを先方に明かさず、私は「大学の友達」として演じてくださいというのです。

この時、今回の訪問は全くアポなしで、少しやっかいな商談であることに気がつきはじめました。

 

こんなことありえる?と思いながら、不安のまま、目的地に向かっていきました。

実はこの仕事、以前に日程が何回か変更されたことがありました。

それは、先方との連絡が取れなかったためだったのです。

そして、今回の訪問も連絡が取れていないままでした。

 

なぜそのようなことを早く教えてくれなかったのか?

「事前に通訳さんに教えたらきっと逃げられてしまうじゃないか」と思っていたらしいです。

こんなこと、通訳をして十数年の中でも初めてです。

 

昼食のあと、荷物をホテルに預け、予定がすべて未定のまま、タクシーに乗ってA社へ訪問しに行きました。

A社の看板を見つけ、会社がまだ存続していることにお客様は、ようやく一安心。

受付で、社長がいることを知り、すぐにアポをとりました。

結局、その日は現地で宿泊し、翌日も商談をしました。

 

のちに分かったことですが、両社は長年のビジネスパートナーであり、日本のある商社を通して取引をしていました。しかし、この商社に何らかのトラブルがあって、A社が商品代金を回収できず、大きな損失を蒙られました。それゆえ、A社は取引を断念し、生産ラインを撤去してしまいました。

 

今回のお客様は海外から何回かコンタクトを試みましたが、できなかった背景があり、A社はもしかしたら倒産して存在してないのでは、または、たとえ会社が倒産していなくても相手にされないのでは、と心配しており、このような事態になったみたいです。

 

ちなみに、この訪問をきっかけに両社は取引を再開し、商売も順調に回復されているようです。

 

 

プロフィール

小松 茂恵子 サイマル・アカデミー 中国語通訳者養成コース講師

十数年前に来日。95年大学院博士課程前期修了。96年通訳案内業免許取得。国土交通省主催ビジット・ジャパン・キャンペン研修会講師を務め、大阪、広島、山梨など各地で講演を行ない、大学講師、商社勤務を経て、フリーランスの通訳・翻訳、通訳ガイドの仕事を務める。

25年を振り返って

  • 2009.05.19 Tuesday
  • 17:42
By千葉俊明

サイマル・アカデミーに出会ってすでに四半世紀が過ぎようとしている。この間、日中関係も大きく変化した。ピンポン外交に象徴されるように、当時の日中関係はまさに蜜月の時代、一にも、二にも、友好第一、本来通訳とは極めてプロフェッショナルな職業のはずだが、当時は、中国語が話せる、というだけで、「あなたの通訳はうまい」と褒められた。そんな時代だった。今思うと、隔世の感である。中国の対外開放の進展に伴い、今や中国なしでは世界経済も語れない、そんな時代に突入した。当然、欧米留学の経験を持つ中国の人々が国際会議に出席する機会も増えた。そんな通訳の現場では、もはや友好第一といった紋切り型の表現は通用しない。日中間のみならずアジアや欧米諸国が参加するマルチな国際会議になれば、東西の価値観が交差し、発言の予測は不可能に近い、通訳の現場は、もはや修羅場、綱渡りの連続である。当然、通訳者に求められる知識や能力も、当時、私が駆け出し通訳の頃の比ではない。アカデミーで教鞭をとっていて、受講生の方々には、今の通訳現場を知ってもらい、知識や能力だけでなく、大きなプレッシャーの中でも、常にパフォーマンスが出せる強い精神力を持ってもらえるよう努めているが、当時の私が今の受講生だったら、と考えると、ある意味、あの頃はいい時代だった、と思うのは、ちょっと虫がよすぎるだろうか?受講生の皆さんに一言、教室ではどんどん恥をかき、失敗をしてください。必ず将来の自信につながるはずです。

 

プロフィール

千葉俊明 サイマル・アカデミー 中国語通訳者養成コース講師

中央大学在学中第二外国語にて中国語を履修。その後東京外国語大学中国語学科に入学。

台湾に語学留学をした後、サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース第三期生として

通訳の技能や知識を学ぶ。その後フリーランス通訳として現在に至る。

スロー・スターターですが…

  • 2009.02.10 Tuesday
  • 18:42
 By川端谷津子

中国留学から帰国後、私は六年間に計四つの会話学校と通訳学校に入学し、ほとんど通学しないまますべてを中途退学しました。焦りはあるものの学習目標を見出せず、学費をムダにしては自己嫌悪に陥っていました。

 サイマル・アカデミーの入学試験を受けてみようと決心したのは、こうした状況に対する猛省と後悔の末でした。三十歳を目前にし、このままでは一生中途半端で終わってしまう、とかなり追い詰められた気持ちでもありました。仕事につなげるなら絶対に本科入学の判定をもらおうと思っていましたので、まずは入学試験のために猛勉強しました。それまでの怠惰な自分が嘘のようで、受講生だった二年間も、どんなに多忙でも睡眠時間を削り、徹夜してでも学習時間だけは確保していました。

 学ぶにあたって、学校選びは重要です。私のようにスクールを転々とする方も多いようです。ただ、結局のところ学習を継続させられるかどうか、結果を出せるかどうかは学習者のモチベーション次第なのだと思います。私の場合は最終的にサイマルに辿り着きましたが、それは学校や講師の質もさることながら、六年かかってようやく私自身の学習の土壌が整ったということだったのでしょう。もう少し早くエンジンがかかっていれば…と悔やまれてなりませんが、幸いだったのは、勉強に意欲を持てなかった期間も常に中国と関わる仕事をしてこられたこと、そしてその経験が肥しとなって今の仕事に生きていることです。よい土壌にはよい作物が実るといいます。今後も様々な経験を肥しとし、よい芽を出せるよう、豊かな土壌を保っていきたいものです。 

 

プロフィール

川端谷津子

サイマル・アカデミー大阪校 中国語通訳者養成コース講師

関西学院大学文学部卒。中国留学より帰国後、サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コースで学ぶ。商社、メーカー等勤務を経て、現在中国語通訳者・翻訳者。

ハートを伝える通訳

  • 2009.01.13 Tuesday
  • 10:53
By渋谷 千春
サイマル・インターナショナル主催、新年恒例の懇親会が先日あった。
会社の偉い方たち、いつもお世話になっているコーディネーターの方や諸先輩方と久々にお目にかかる。
「わ〜、また一年経ってしまったんですね〜。」
毎度のことであるが、最近は本当に時の経つのが速く感じられる。
気づけば私がサイマル・アカデミーの門を叩き、そして会議通訳者の仕事を始めて早や十数年。
恩師の眼の中では、私はいつまでたっても「若手の渋谷さん」のままのようである。
しかしその私も、四捨五入すると自分でもびっくりするようなお年頃になってしまった。

 
サイマル・アカデミーで諸先輩方から伝授していただいた「教え」をしっかりと守り、一生懸命仕事に没頭して十数年。
会議通訳の仕事の質の良し悪しは、その大部分が事前の準備にかかっているといっても過言ではない。
準備のための勉強は大変であるが、何ごとにも好奇心を持つタイプの私としては、新しい知識に触れることができる毎日が楽しくて仕方がなかった。
そして、現場の緊張感。これも相当のものであるが、仕事を終えた後の達成感がまたたまらない。
というわけで、「勉強→仕事→勉強→仕事」のサイクルをぐるぐるまわって、泣いたり笑ったりしているうちに、あっという間に時が過ぎてしまったというわけである。

 
そんな私に、ある時、思いがけない事件が起きた。
こともあろうに、夫のある身でありながら、「中国語が通じない国のお方」を愛してしまったのだ。

 
伝えたい思いはあふれているのに、それを伝える「言葉」を持たない私。
それがどれほど苦しいことか、久々に身を持って知ることになったわけである。
「その方」の気持に、あと一歩、いや半歩でもいいから近づきたい。
そんな思いで、「某言語」の勉強を始めて約2年。
「伝わらないもどかしさ」「伝わった時の果てしない喜び」
「勉強→仕事→勉強→仕事」のサイクルに追われて、もしかしたら忘れがちになっていたかもしれない「大切なこと」。
今になって、「他の言語を一から勉強すること」で、自分の仕事の「使命」、そしてその仕事に携われる「喜び」を再認識することとなった。
また、自分が「教わる側」にもう一度身を置き、様々な困難に直面することによって、通訳者養成コースの講師としても、参考になる点を多々学ぶことができた。

 
そう、「言葉がまずある」のではない。
まずお客様(スピーカー)の中に「伝えたい思い」があって、それを「言葉に乗せて」皆様のためにお伝えするのが私たち通訳者の役目である。
「ハートを伝える通訳」
どこまでも謙虚に、そして熱く。
そんな思いを共有できる皆様方と、今年も一緒に向上していけたらと思っている。
カムサハムニダ〜!謝謝〜!

渋谷 千春 サイマル・アカデミー中国語通訳者養成コース講師

慶応義塾大学卒。専攻は国文学。中国語との出会いは大学での第二外国語。

在学中から演劇活動に携わっていたが、卒業後女優としての壁に突き当たり、現実逃避で中国に語学留学。その後中国での出版社勤務を経て、帰国後サイマル・アカデミーで学び、中国語会議通訳者としての仕事を開始。仕事の現場で聞きかじった金融・経済の知識を生かし、CFP(サーティファイド・ファイナンシャル・プランナー)の資格も取得。
二年前から韓国語にはまり、最近は韓国語教室で「中国語と韓国語の比較」「通訳という仕事について」というテーマについて、韓国語で紹介もした。
「通訳者」という「やりがいのある仕事」へと私を導いてくださったサイマル・アカデミーの先生方に感謝しつつ、日々通訳現場で奮闘中。

天有不測風雲(世の中は何が起きるか分からない)

  • 2008.10.14 Tuesday
  • 12:01

By四方美智子

先月、ノロノロ台風13号が居座っていましたね。その台風が飛行機を止め、私たちの台湾ツアーを「関空ツアー」に変えてしまったのです。何ヶ月も前から日程をやりくりし、また短いフリーのツアーを100%楽しむため、綿密に計画も立てました。それがまさに、台風に「大当たり」といった感じで、口惜しいながらも奇跡的な遭遇にある種の感慨を覚えたものです。

これは私的ツアーなので、「口惜しい」「感慨」ですみましたが、ビジネス・ツアーになるともう大変です。思い出したのは企業通訳を務めていた時のことでした。本社の重役を上海経由で北京に案内し、香港関連会社のメンバー3人と北京で合流して政府機関の要人と会談する予定でした。上海で乗るはずの飛行機が、ロサンゼルスから飛んできて、霧のため上海に着陸せずに北京へ直行してしまったのです。この飛行機に乗る予定の乗客全員は有無を言わせずして上海空港近くのホテルに詰め込まれましたが、事の重大さからいって、我々はとてもホテルに待機できる状況ではありません。空港でキャンセル待ちをして重役だけは何とか午後北京行きの飛行機に乗れたものの、私は何時の飛行機に乗れるか見当もつきません。先着の関連会社メンバーに会談の通訳の対策を相談したところ、最悪の場合は重役の日本語を、香港関連会社の日本人スタッフが英語に通訳し、香港関連会社の現地スタッフがその英語を中国語に訳して中国側要人に伝える。すなわち日本語→英語→中国語、「最初の『馬』が最後は『虎』になるかも」と。幸い空港で粘った甲斐があり、深夜の飛行機で北京へ着き、翌日は予定通りの日本語→中国語の通訳で会談を行い、「馬」が「虎」にならずにすみました。

中国の諺「人有旦夕禍福,天有不測風雲」(人生の禍福は予測しがたく、災いは意外な時にやってくる)は正にこのようなことで、心得て臨み、冷静に対応して、「逢凶化吉」(災いを転じて福となす)を図りたいものですね。

 

プロフィール
四方美智子(しかたみちこ) サイマル・アカデミー大阪校 中国語通訳養成コース講師

日本に生まれて1歳の時中国へ渡る。26歳で帰国。大手精密機器メーカーで中国ビジネス・日中合弁プロジェクトなどに長年携わり、その後商社勤務を経て、フリーランスの通訳者に。現在中国語通訳、中国語講師に従事しながら大学院博士課程にて外国語教育学と古典文学の研究に励む。

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